1892年 大本(教)
霊的見地から
大本は、近年の日本の振興宗教の元となった。
真理の追究を自由に行うきっかけともなっている。
大本の信には、谷口雅春(「生長の家」の創始者)、岡田茂吉(「世界救世教」の創始者)、世界救世教の信者、岡田光玉(「世界真光文明教団」の創始者)、その他の小さな教団、集団の創始者が排出された。
また、
浅野和三郎などのスピリチュアル研究者も出ている。
大本の概要
1892年、明治25年2月3日、京都府綾部にて、
「出口なお」に「艮の金神」(うしとらのこんじん)と名乗る神が憑依。その神は「国祖 国常立尊(くにのとこたちのみこと)」であると明かす。
1898年(明治31年)、「なお」と「王仁三郎」が神道系の教団組織を作る。「王仁三郎」は「なお」の娘「出口すみ」の婿となり、なおの養子となった。
出口王仁三郎は、なおの死後、神憑りによって「
霊界物語」を口述筆記。
浅野和三郎や
谷口雅春(後の「成長の家」の創始者)らも信者で主要な立場であったが、後に王仁三郎と対立し、教団を出る。
植芝盛平(合気道の創始者)も信者である。
日本海軍の
秋山 真之(あきやま さねゆき)や他の多くの海軍士官も信徒となり、大本の勢力の大きさに、国家から危険視されてく。治安維持法の不敬罪により、1921年に王仁三郎は逮捕。施設は破壊される。第一次大本事件である。
1935年も治安維持法で再逮捕、他1000名近くの信者逮捕。施設は二度目の破壊。大二次大本事件。
1980年大本の内部分裂があり、第三次大本事件が発生。
後に治安維持法による逮捕は違法とされ、無罪が確定したが、幾度も破壊された施設や罰金、土地の没収、4000日以上の拘禁などに対する賠償請求については、王仁三郎は「国の血税に負うのは忍びない」として賠償を請求しなかった。