325年 ・・第一回ニカイア会議

霊的な見解

 現在の聖書の編纂で、起点となる最初の国際会議である。聖書は人間の創作などの混ぜ物が全く入っていない完全なる神の純粋なみ言葉であると信じている人々には、非常に衝撃的な歴史である。
 近年の証拠によれば、聖書はその多くが、人間による改ざんがなされていたのである。聖書に信仰を持っている人は、今後、書物に信仰を置くのか、神に信仰を置くのか。または組織に信仰を置くのか、真の神に信仰を置くのか、いつかは証拠を誠実に検討し、良心的に公正に、自ら決定しなければならないだろう。
 それは、真の神と、真のキリストを見いだし、真理を見いだすための門をくぐるスタートとなるでしょう。

一回ニカイア公会議 (聖書の確定)

一般的に公表されている歴史をウィキペディアから引用

 より詳細は Wikiを参照-第1ニカイア公会議

 ニカイア公会議(ニカイアこうかいぎ、ニケア、ニケーアとも)は、325年5月20日から6月19日まで(約一ヶ月間)、小アジアのニコメディア南部の町ニカイア(現トルコ共和国ブルサ県イズニク)で開かれた。
 キリスト教の歴史で最初の全教会規模の会議‥‥

 2世紀以降、キリスト教の教義が確立されていく中で、キリスト論や三位一体論の解釈においてさまざまな立場が現れ‥‥支持するもの‥‥異端とみなされて排斥されるものなど、‥‥混乱と紛争が絶えなかった。‥‥3世紀にアリウス派の思想が論議になるにいたって、地域の主教(司教)や地方教会会議だけでは解決が難しい事態となった。これは放置すればキリスト教の分裂を招きかねず‥‥(国の分裂を心配して)ローマ皇帝コンスタンティヌス1世にとっても頭の痛い問題だった。ここにおいて(クリスチャンではない)皇帝の指導と庇護の下に初めて全教会の代表者を集めて会議が開かれることになった。

 会議への参加者の数は諸説あるが、カイサリアの主教エウセビオスは主教が250人であったといっている。しかし、このうち西方教会から参加したのはカラブリアのマルクスなど5名に過ぎずほとんどが東方地域からの参加者であった。主教(司教、監督)のほかに司祭、輔祭(助祭、執事)信徒など数百名の参加者があったと考えられている。

  • 復活祭の日付の確定
  • 異端とされた司祭による洗礼の是非
  • キリストの神性の解釈
  • 三位一体の教理・・・・特に御父と御子は「同質」であるという語の使用は聖書にない言葉がはじめて教義の中にとりいれた。参加者の間ではこの「同質」なのか「相似」なのかの激しい議論が戦わされた‥‥

‥‥会議は‥‥ある議題やアリウスとその一派の追放を決定して閉会した。‥‥しかし、この後も政治的な意図と神学論争を含んだ争いによって‥‥二転三転、三位一体論争の解決にはなお多くの時間がかかることとなった。

ニカイア公会議の舞台裏


真相を暴いた著書

 1886年にダドレーにより『History of the First Counil of Nice by D.Dudley』(日本語 『第一回ニケア会議の真相』)という英文の著書が発表された。(日本ではまったく報道されなかったらしい)。これは世界で大反響を呼んだと思われる。

会議の裏の目的

 さてこの公表された資料によると、西暦235年開催、ローマ皇帝コンスタンチヌスの命令で、片田舎のニケアにて3ヶ月間、ローマ全土の司教が集められ、会議が開かれた。
 その当時は、初期キリスト教のユダヤ人たちは、ローマがダニエル書の「滅ぶ運命の第四帝国」だと信じていたため、ローマの支配者は初期キリスト教徒たちを徹底的に弾圧した。特にネロ皇帝は凶器じみており、老人にも子供にも女性にも獣の皮を着せて闘技場に立たせ、犬に引き裂かせるという残虐で有名である。
 一方、キリスト教以外には、寛大で宗教を容認していた。というより、宗教的精神性が乏しく、敵対的でなければ、軍事的脅威以外は関心が無かったようだ。
 時がたってコンスタンチヌスの時代には、東洋のヒンズー教と西洋のドルイド教が帝国を二分し、争いが絶えず、ヒンズー教のクリシュナ神と、ドルイド教のヘサス神が互いに譲らず、ローマは手を焼くようになった。

 コンスタンチヌスは、その頃迫害をしても耐え続けていたキリスト教を利用し、イエスを神に祭り上げ、ローマの国教にして民意を収れんし、治めようとした。
 ローマ領の辺鄙な片田舎ニケアで開催、司教300名前後を予定し、満場一致でイエスを神と認め、ローマの国教にする。しかしそれでは司教たちも集まらないため、名目として、ギリシャの神学者アリウスの説を討議する事とした。

追い出された反対派1700名

 招集してみるとなんと、2千人以上の出席者となり、コンスタンチヌス派が300名、他はすべてアリウス派であったイエスを神にする事は秘訣された。コンスタンチヌスは激怒し、議場は混乱に陥り、数ではかなわなかったため、コンスタンチヌスはローマ兵を議場に入れて、強制的に追い出し、聖職権の剥奪、国外追放までした。残ったコンスタンチヌス派司教300名により、全員一致で、イエスは神であると決定し、はれてキリスト教が誕生した。
 そして舞台裏では、決められたキリスト教の教理に合うように、聖書は改ざんされた。世界中の都合の良い伝説を聖書に書き加え、贖罪説、最後の審判説、等々の人工の教義が作られていった。ある聖書学者は「歴史上最大の陰謀」と呼んでいる。

200年後の公表

 その200年後、アリウス派の後継者ユミノウスがその陰謀を知り、公表したところ、当時のローマ教会が絶大な権力で彼と関連する著作物全てを抹殺する工作が行われ、再び闇に埋もれた。
 その後西ローマ帝国滅亡後、歴史家らの発掘から、ニケア会議に出席した司教たちの手紙や手帳、記録が次々に発掘され、これらの事が明るみに出たのである。
 そこには、前述のとおり、出席者が1800名〜2000名という記録が一致しており、会議の経緯なども記録されていた。

近代の公表

 ダドレーの著書には、会議の目的や経緯など、細かい点が記されており、裏付けの資料が脚注の形で掲載しているが、その量が全体の半分を占めるほど豊富に載せられているという事である。(これらは英文著書を持っている近藤千雄氏の著書「霊的人類史は夜明けを迎える」に記載

外典、偽典と言われる多くの書物の存在

 外典(がいてん。アポクリファ Apocrypha)とは、旧約聖書、新約聖書から外された文書を指す。また偽典(ぎてん)は、旧約聖書のみに存在し、著者名を偽って、つまりなりすまして書いた書物と思われるものを指す。特に内容もひどいものが多い。しかし中には、正典として見なされているものも多数存在する。

聖書の外典、偽典は一般的な分類であり、本当に偽典かは疑問である

【旧約外典】

 第三エズラ書
 第四エズラ書
 トビト記(同色 死海文書)
 ユディト記
 エステル記補遺
 ソロモンの知恵
 シラ書(集会の書、ベン・シラの知恵)
 バルク書
 エレミヤの手紙
 ダニエル書補遺 スザンナ
 ベルと竜
 アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌
 マナセの祈り
 マカバイ記1
 マカバイ記2
 マカバイ記3
 マカバイ記4(シナイ写本は含む)
 詩篇151
 ヨブ記補遺
 エノク書
 

ヤムニヤ会議

 ヤムニア会議とは、紀元90年代にユダヤ
教(主にファリサイ派)のラビたちによって行
われ、ユダヤ教学校に寄った学者たちが長
い時間をかけて議論し、聖書(ヘブライ語
聖書)の正典(マソラ本文)を定義していっ
たプロセスを指している。(このころすでにエ
ルサレムの神殿は破壊され、サドカイ派は
存在意義を失っていた)
 七十人訳聖書についても議論され、その
中のある文書は正統なものではないという
結論に至った。こうしてヘブライ語聖書の
正典が確認された。旧約聖書の外典とい
う時、この会議で除外された文書群をさ
す。 

より詳細は Wikiを参照

【新約外典】

 パウロ行伝
 ペトロ行伝
 パウロ・テクラ行伝
 ペトロの黙示録(ノラトリ)
 パウロの黙示録
 ディダケー(十二使徒の教え)
 バルナバの手紙(バルナバ書)
 クレメントのコリントの信徒への手紙
 イエス・キリストとエデッサ王アブガル
スの手紙
 使徒パウロのラオディキアの信徒とセ
ネカへの手紙
 イグナティオスとポリカルポスの手紙
 エジプト人による福音
 ユダヤ人による福音
 ユダによる福音書
 ニコデモによる福音書 (ピラト行伝)
 ペトロによる福音書(ペテロ福音書)
 救い主による福音
 ヤコブによる原福音 (ヤコブ原福音)
 トマスによるイエスの幼時物語
 トマスによる福音書
 マタイによるイエスの幼時福音
 マルコによるイエスの幼時福音
 アラビア語によるイエスの幼時福音
 マリアによる福音書(マグダラのマリ
ア福音書)
 フィリポによる福音書
 ヘルマスの牧者(ノラトリ)
 イエス・キリストの叡智
 シビュラの託宣

【旧約偽典】

 アダムとイヴの生涯
 アリステアスの手紙
 第三マカベア書
 第四マカベア書
 シビュラの託宣
 スラヴ語エノク書
 ピルケ・アボス
 ヨベル書
 エチオピア語エノク書
 ソロモンの詩篇
 シリア語バルク黙示録
 ギリシア語バルク黙示録
 第四エズラ書(第二エスドラス書)
 十二族長の遺訓
 イザヤの殉教
 モーセの遺訓
 アブラハムの遺訓
 ヨブの遺訓
 預言者の生涯
 ヨセフとアセナテ
 共同体の規則
 ダマスコ文書
 戦いの巻物
 ハバクク書注解
 外典創世記
 感謝の詩篇(ホダーヨート)
 神殿の巻物
 賢者アヒカルの物語
 フィロンの聖書古代誌

ムラトリ正典目録にあったもの

 ペトロの黙示録
 ヘルマスの牧者
パウロの書簡
 ラオデケア人への手紙
 アレクサンドリア人への手紙等
アルシノウスの著作
ヴァレンティノスの著作
ミルティアデスの著作
パシリデスの著作
 マルキオンのための詩篇


 これらの外典、偽典は、現在の聖書正典66冊が決められる前は、正典として受け入れられていたものも少なくない。例えば、ニカイア公会議より古い時代の写本を参照すると、外典偽典の類が、当然のように正典として受け入れられていたことが確認できる。それが325年のニカイア公会議で除外されたために、神の言葉では無くなるのかという疑問が生じるだろう。

マソラ本文

 マソラ本文は、9世紀にその名の通りマソラ学者によりヘブライ文字で筆写されたユダヤ教の聖書の原本を指す用語。現代に伝わるマソラ写本(マソラ紐綴じ本)はレニングラード写本やアレッポ写本が良く知られている。


参照 死海写本ムラトリ目録シナイ写本ナグ・ハマディ写本オクシリンコス・パピルスマソラ本文バチカン写本