1914年  第一次世界大戦

※以下はサイト RekisiruWikipedia を参考に、他の資料も加えて掲載しています。

霊的な見地から





大戦の概要-

1914年7月28日から、1918年11月11日の世界規模の戦争。
 7000万人の軍人が動員され、戦闘員900万人、民間人700万人が死亡。
 戦争の長期化で、ドイツ帝国、オーストリア(ハンガリー帝国)、オスマン帝国、ロシア帝国の4つの帝国が崩壊した。
 終戦後も対立国の関係は悪く、21年後に第二次世界大戦が勃発した。

特徴

 初めての総力戦。塹壕戦と戦艦主義。ケーブルの切断工作。終戦後1920年に国際連盟が設立。

戦争の始まり

 引き金は、1914年6月28日、青年ガヴリロ・プリンツィプが、サラエヴォへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の王子、フランツ・フェルディナント大公を暗殺した事件(サラエヴォ事件だった。
 これにより、オーストリアはセルビア王国に最後通牒を発し、七月危機が生じた。各国政府は開戦を避けるため力を尽くしたが、戦争計画の連鎖的発動を止めることができず、瞬く間に世界大戦へと発展した。数週間で主要な欧州列強が全て参戦することとなった。

大戦までの時系列


1914年6月28日:サラエボ事件
1914年7月 オーストリア・ドイツ・ロシア・イギリス・フランスの交渉。「7月危機
1914年8月1日 ドイツがロシアに宣戦布告
1914年8月2日 ドイツがフランスに宣戦布告
1914年8月4日 ドイツがベルギーに侵攻し、ベルギーとイギリスが宣戦布告
1914年8月12日 オーストリアがセルビアに侵攻
1914年8月後半 フロンティアの戦いに連合軍敗れる。
1914年12月24日 クリスマス休戦
1915年1月31日 東部戦線のボリムフの戦いで、毒ガスを初めてドイツ軍使用
1915年7月13日 タルヌフ攻勢でドイツが勝利、ロシア軍は撤退
1915年8月4日 ドイツ軍ワルシャワを占領する
1916年2月21日 ヴェルダンの戦い(仏独戦)
1916年7月1日 ソンムの戦い(英独戦)
1917年4月6日 アメリカ合衆国が連合国側に参戦
1917年5月3日 フランス軍大反乱。フランス軍の戦意喪失しイギリスに主導権が移る
1917年6月7日 メシニの戦い(英独戦)
1917年6月25日 アメリカから初めての兵が到着
1917年11月20日 カンブレーの戦い(英独戦)が起こり初めて戦車が投入
1918年3月3日 ブレスト=リトフスク条約が結ばれ東部戦線は停戦
1918年3月21日 ドイツ軍東部戦線の軍事力を投入し、ミヒャエル作戦で英仏の分断を狙う
1918年5月 アメリカ遠征軍が毎月30万人到着するようになる
1918年8月21日 第二次ソンム戦線が行われ、ドイツ軍は後退を余儀なくされる
1918年9月26日 アメリカ遠征軍が中心となり、ムーズ・アルゴンヌ攻勢が起こりドイツ軍は消耗していく
1918年11月11日 休戦協定を結び、第一次世界大戦終戦

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