1871年 ・・長尾郁子

 長尾 郁子(ながお いくこ、1871年 - 1911年2月26日)は、透視能力と念写能力を持つ超能力者として福来友吉に紹介された日本の女性。千里眼事件として報じられた人物の一人。

 裁判所の判事長尾与吉の妻で、1男2女の母親であった。観音信仰が篤く、御船千鶴子に関する報道に刺激されて精神統一して修練を積み、透視ができるようになったという。
 的中率が高いと評判になり、讃岐実業新聞(現・四国新聞)が報道して福来友吉の目に止まった。数回の実験では的中した。
 福来により、何度も実験するうちにだんだん念写がはっきりし、また複雑な文字なども可能になり、「念写」(Nengraphy )と命名し数多くの実験結果を学会に発表した。
 この少し前、京都帝国大学の三浦恒助という学生も長尾郁子の能力を実験し、念写について精神作用ではなく物理現象によるものとの見解を発表し、念写を起こす光線を「京大光線」と命名した。これにより、心理学界と物理学界の間で大きな波紋を起こすことになった。
 長尾郁子の超能力を疑う学者の中から一方的に「透視と念写は全くの詐欺である」旨の見解を報道陣に発表した。これにより、長尾郁子側は以後の実験を全く拒否し、2ヶ月後に急性肺炎で急逝した

より詳細は Wikiを参照-長尾 郁子